「大学で何を教えておられるのですか」
「天文学です」
「ロマンがあって良いですね」

とほとんどの方が答えられます。なぜでしょう。

誰もが、空を見上げ、その美しい星空に魅せられた時、はるか悠久の宇宙の彼方に思いをはせることでしょう。星空は人類共通のパノラマであり、だれにも区別なく、その美しさを堪能させてくれます。また宇宙は直接手にとって調べることができませんので、さらに想像がかき立てられます。ですから宇宙を研究していると答えると、みなさん興味を示されるのは当然のことと思います。私も子供の時、こうして宇宙に興味を持ったことがきっかけで天文学を志しました。

かつて、地球は宇宙の中心にあると考え、すべて地球の周りを回っている、地球は特別の存在であると考えられていた時代がありました。人類の長い歴史を考えると、つい最近のことです。しかし今では宇宙に始まりがあって、私たちの体を形成する金属原子はすべて、星の中で生成され、何億年もの長い年月をかけて地球を形作ってきたことがわかっています。

一方で、

「天文学など研究して、社会の何の役に立つのですか」

と否定的な質問を受けることもしばしばあります。高校生を対象とした講演会の後、

「天文学の研究者になりたいが、友だちから天文学は社会の何の役に立つのかと聞かれ、答えられず、進路を迷っている。先生はどう思うか」

と質問されたことがあります。社会の役に立つということはどういうことでしょう。動物でも「ふしぎに思うこと」はあるでしょう。しかし、その「ふしぎを解明したい」と思うのは人間だけです。そもそも、「科学」は、好奇心と探求心を持つ人間の固有の資質に基づく結果です。この資質なくしては現在の私たちの豊かな社会と生活はあり得ません。「科学」はいわば芸術、スポーツなどと同じ文化です。芸術がなくても私たちは生きていけるかもしれません。しかし、どんなに味気ない世の中になるでしょう。その多様な文化の中から人は豊かな暮らしをもたらすものを見つけてきました。「科学」を単に「何々の目的のために」と限定してしまうと、本来の人間の探求心を狭めてしてしまうこともあります。人工衛星がなくては生活が成り立たない現在、その人工衛星を打ち上げるにはニュートン力学が不可欠です。ニュートン力学は、500年も前にコペルニクスが地動説を唱え、その後太陽の周りを回る地球や惑星の軌道を詳しく観測した天文学者のデータを基に、ニュートンが万有引力を見つけ、300年以上も前に力学として完成したものです。万有引力は今では小学生でも知っているでしょう。しかし、300年前には極めて革命的な理論でした。ニュートンは社会に役立てようと、また現在の社会を予想して力学を完成させてのでしょうか。決してそんなことはありません。役に立てたのは後生の人たちの知恵です。先人たちの「ふしぎの解明」のおかげで、現在の私たちの豊かな社会があるのです。

2009年はガリレオが初めて望遠鏡で月の観測をして400年の記念の年でした(世界天文年2009)。当時、月の観察は世界最先端の科学でした。しかし、今や小学校で最初に習う天文学です。ガリレオの発見も、4百年後、教科書に書かれ、豊かな社会の礎となっています。単純な好奇心から花開いた現在の宇宙科学の発展を見たらガリレオはきっとびっくするでしょう。このように人間の共通の文化である基礎科学は、広く社会に受け入れられ、社会を豊にし、生活にとけ込むまでには長い年月がかかります。今、私たちは宇宙の誕生や生命誕生の秘密を解明すべく、様々な研究をしていますが、100年後、200年後、その秘密が小学校の教科書に載る時代がくるかもしれません。

「ねえ、おじいちゃん。今日学校で、なぜ宇宙が生まれたかを勉強してきたよ」
「ヘー。おじいちゃんにも教えて」
「こうして、こうしてできたんだよ」

などと小学生が得意になって、おじいちゃんに教えている姿が目に浮かびます。

私たち、自然科学に携わっている者は、もちろん、素朴な好奇心や探求心が動機で自然の摂理を解明をしようとしているのですが、同時に100年後、200年後の教科書を作っているとも言えます。今はまだはっきりわからなくても、過去の自然科学がそうであったように、将来、人類の意識を変革し、科学成果が私たちの身の回りにあふれ、溶け込み、人類を幸せにする時代がきっとやってきます。科学は単に私たちの生きている時代だけのものではありません。また天文学は今日・明日の生活を便利にするわけではないかもしれません。しかし、100年、200年もの長い間、皆さんの心を豊かにするものと信じています。

「世界天文年2009」に参加した何百万人の世界の子供たち、「はやぶさ」のカプセルの展示を見に集まった何万人もの子供たち。自然科学に興味をもち、やがて将来のニュートンやガリレオになる子供たちがきっと現れることでしょう。