隠されたクェーサーは多数存在するのか? <すばるとX線衛星によるクェーサーの探査> 1:はじめに クェーサーとは非常に大きな光度を持つ活動的な銀河の中心核のことを指す。 その中心核から発せられる単位時間あたりのエネルギーは太陽から発せられ ているものの 10^{12} 倍以上に達し、銀河にある星全体から放射されるエネ ルギーをもしのぐ。この莫大なエネルギーは、銀河中心のブラックホールに 銀河の中のガス(星間ガス)が落ち込むことにより生じると考えられている。 すべての銀河はその球状成分(渦巻銀河ならバルジ、楕円銀河なら全体)の 質量に比例した質量のブラックホールを持つことが最近の研究から示唆され ており、巨大な銀河においては、その中心のブラックホールの質量は太陽質 量の 10^{9} 倍にも達する。銀河の中心付近にある星間ガスがこの巨大ブラ ックホールに落ち込むとき、星間ガスは降着円盤と呼ばれる円盤状の構造を 形成し(図1)、角運動量を失いながらブラックホールへと落ち込んで行く。 この降着円盤において星間ガスの重力エネルギーの一部は、電磁波として銀 河の外へ放射され、クェーサーとして観測される。明るい銀河の1%弱がこ のような活動性を示している。 初期の大規模なクェーサー探査は、クェーサーの特徴である可視光でみると 星や銀河に比べて青く見えるという性質や、紫外波長域で明るいという性質 を用いて行われた。また、クェーサーは通常の銀河に比べるとX線波長域で の明るさが可視や赤外の波長域での明るさに比べて相対的に明るい。よって、 X線を用いればクェーサーを選択的に捉えることができる。1978年にア メリカのX線衛星アインシュタイン、1990年にヨーロッパのX線衛星ロ ーサットが打ち上げられ、低エネルギーX線を用いた大規模クェーサー探査 が多数行われた。これらのクェーサー探査によりすでに10,000を超え る数のクェーサーが発見されている。可視波長域の輝線の赤方偏移から、そ の天体がどれだけ遠方にあるのか(つまり、どれだけ過去の天体であるのか) がわかるが、これまでに見つかった中で最も遠方のクェーサーでは宇宙誕生 から見て10億年の時点までさかのぼる。 しかし、これまでに見つかったクェーサーはクェーサー全体から見れば氷山 の一角で、星間ガスによって隠されたクェーサーが宇宙には多数存在してい るがまだ捉えられていない、ということも示唆されてきた。ここでは、可視 光と高エネルギーX線の観測の連携によって、これまで発見できなかった隠 されたクェーサーを見つける試みの最新成果を報告し、すばる望遠鏡を用い て進めている宇宙初期の隠されたクェーサー探査の試みについて紹介する。 2:隠されたクェーサーとは? 活動的な中心核を持つ銀河には、セイファート銀河と呼ばれる、クェーサー よりも光度の小さいものが存在する。セイファート銀河には2つの型のセイ ファート銀河がある。1型セイファート銀河は可視波長域のスペクトルにお いて、秒速3000キロメートル以上の速度幅をもつ幅の広い輝線と秒速1000 キロメートル以下の速度幅の幅の狭い輝線を示す。一方の2型セイファート 銀河は後者の速度幅の小さい輝線のみ示す。これらの型の違いは図1に示す ように、銀河の中心核付近のガス雲が高速運動している領域を取り巻くよう にドーナツ状に星間ガスが存在しているとすると統一的に解釈できる。現在 の解釈の主流--セイファート銀河の統一モデル--では、1型と2型は、視線 方向が違うだけで、1型は中心核付近を直接みているもの、2型は中心核付 近の手前に星間ガスがある場合であると考えられている(1)。銀河系近傍の宇 宙での2種のセイファート銀河の数の統計では、2型つまり星間ガスで隠さ れた型のセイファート銀河の方が1型に対して3倍多数存在することがわか っている。 クェーサーとセイファート銀河の違いは、クェーサーの方が光度が大きいこ とだけで、クェーサーもセイファート銀河と同じような図1に示した中心核 付近の構造を持っていると一般に考えられている。一方で、クェーサーの場 合、これまでに発見されたのは幅の広い輝線を示す1型に相当するクェーサ ーばかりで、幅の狭い輝線のみを示す2型に相当するクェーサーはほとんど 見つかっていない。クェーサーはセイファート銀河とは根本的に異なる構造 を持つのかもしれない。あるいは、隠された2型クェーサーはこれまでの探 査では発見できなかっただけの可能性もある。 X線宇宙背景放射の強度、スペクトルは隠されたクェーサーは多数存在する のだが、これまで発見されなかっただけであることを示唆している。宇宙に はX線で光る点源が多数存在していて、分解能の悪かった昔の観測では空が X線で一様に光っているように見えていた(X線宇宙背景放射と呼ばれる)。 最近の低エネルギーX線での探査観測と可視波長域での分光観測から個々の X線の点源の正体は主に1型クェーサーやセイファート銀河からのX線であ ることが明らかになりつつある。しかし、1型のクェーサーとセイファート 銀河だけでは、X線宇宙背景放射の強度やスペクトルを説明する事が出来な い。X線宇宙背景放射のスペクトルは、1型のクェーサーよりも有意に硬く (高エネルギー側の強度が相対的に強い)、1型クェーサーのスペクトルの 重ね合わせではそのスペクトルは再現できない。この矛盾を解消するには低 エネルギーX線では暗くて捉えられないが、高エネルギーX線で明るく見え る、硬いX線スペクトルを持った天体が1型のクェーサーよりも多数存在し ていなくてはならない。この、これまで捉えられなかった硬いX線スペクト ルの天体の第一の候補として隠された2型クェーサーが考えられている(2)。 3: 隠されたクェーサーは存在する。 なぜ隠された2型クェーサーはこれまで見つかってこなかったのであろうか? 実は、これまでのクェーサー探査には落とし穴があった。紫外線や短波長側 の可視光は星間ガスがあった場合、その中のちりにより散乱、吸収されてし まいやすい。よって星間ガスで隠されたクェーサーは可視波長域で青い色を 示したり、紫外線で明るいという可能性は低い。またX線でのクェーサー探 査の主役であったアインシュタイン衛星、ローサット衛星がカバーしていた のは低エネルギーX線であり、このX線も星間物質の中に存在する原子の光 電吸収によって吸収されてしまいやすい。隠されたクェーサーは低エネルギ ーX線でも光っていないと予想される。つまり、これまでの大規模クェーサ ー探査の手法は隠されたクェーサーを捉えるには向いていなかったのである。 では、隠されたクェーサーを見つけるにはどうすれば良いのだろうか。X線 でも特に透過力のあるエネルギー域(波長域)、高エネルギーX線(硬X線 ともいう)を用いてクェーサーの探査を行えば、隠されたクェーサーも1型 クェーサーと同じように捉える事が出来るはずである。さらに可視波長域の 分光観測によって幅の広い輝線が見られないという2型セイファートと似た スペクトルが得られれば隠された2型クェーサーであると決定できる。可視 波長域の分光データからはさらに天体の距離(赤方偏移)がわかり、その天 体の絶対光度を決める事が出来る。2型セイファート銀河の観測結果からド ーナツ状に分布する星間ガスの柱密度は原子、分子を合わせた水素の柱密度 で表して1平方メートルあたり 10^{27} 個以上程度と予想される。X線の透 過力のエネルギー依存性を考えれば、エネルギー領域が2keV以上の高エ ネルギーX線を用いれば隠されたクェーサーも1型のクェーサーと同じよう に強いX線源として捉える事ができると予想される。 1993年に打ちあげられた日本のX線衛星「あすか」は高エネルギーX線 でのクェーサーの大規模探査をはじめて実現した。X線衛星「あすか」によ る探査の最初の成果は、隠されたクェーサーの発見であった。1996年、 太田耕司らの探査チームは「あすか」衛星による探査観測において隠された クェーサーを発見した(3)。この天体は予想通り低エネルギーX線では暗いが 高エネルギーX線では明るいという硬いスペクトルのX線源として発見され た。図2に隠されたクェーサーAXJ08494+4454のすばる望遠鏡 の可視波長域分光装置(FOCAS)により得られたスペクトルを示した。 下には比較のために典型的な1型クェーサーのスペクトルを載せた。隠され たクェーサーでは灰色で示した幅の狭い輝線のみが強く、1型クェーサーに 見られる青色で示した幅の広い輝線が全く見られない。また1型クェーサー は 400nm より短波長側で非常に青い(短波長側で明るい)連続光成分を持つ のに対して、隠されたクェーサーではそのような成分は見られず、そのかわ り幅の狭い輝線が目立つスペクトルになっている。これらの特徴は2型セイ ファートと同じである。一方で、高エネルギーX線での絶対光度はクェーサ ーに十分匹敵する明るさを持っている。この発見で、隠されたクェーサーが 存在し、高エネルギーX線を用いれば1型クェーサーと同じように捉えられ る事が確証された。 4: が、多数は存在しない。 次は発見のフェイズから十分大きいサンプルを用いて隠されたクェーサーの 存在数を定量化するフェイズに移る。われわれは高エネルギーX線探査で選 択されたクェーサーのサンプルを作成するために、「あすか」衛星を用いた 広い天域でのクェーサー探査を行った。まずは天空上の連続する5平方度の 領域を高エネルギーX線で探査し(4)、34個のX線源のサンプルを作成した。 さらに「あすか」衛星のアーカイブデータを用いて合計80平方度の領域で の探査も行い(5)、86個のX線源のサンプルを作成した。これらの高エネル ギーX線源について、可視波長域で明るい天体に対しては、ハワイ大学2m 望遠鏡、キットピーク2m望遠鏡を、そして暗い天体に対してはすばる望遠 鏡を用いて可視波長域での分光観測を行い、合計120個のうち1個を除い たすべてのX線源の正体を特定した(6)。 この高エネルギーX線源の中にクェーサーは53個発見され、そのうち硬い X線スペクトルを示す隠されたクェーサーは7個あった。この割合はセイフ ァート銀河での隠されたセイファート銀河の割合に比べればはるかに小さい。 またX線宇宙背景放射の硬いスペクトルを説明するには、「あすか」で見つ かったクェーサーのうち40%程度は隠されていなくてはならないのだが、 それよりもはるかに小さい。隠されたクェーサーは統一モデルやX線宇宙背 景放射のモデルで考えられるほど多数は存在しないという事が明らかになっ た。この事はクェーサーが中心核付近においてセイファート銀河とは異なる 構造を持つ事を意味する。 さらに、隠されたクェーサーには不思議な現象も見られた。X線波長域では 隠されたX線源に特有の硬いX線スペクトルを示すにもかかわらず、可視波 長域では幅の広い輝線をしめすクェーサーが存在した。このことは中心領域 がX線では隠されているが、可視波長域では隠されていないことを意味する。 可視光の減光はちりの散乱、吸収が効いているのに対して、X線では原子の 光電吸収が効いているので、中心核に対する減光の起源は異なる。しかし、 通常は星間ガスの組成は天体毎に大きくは変わらない、星間ガス中のちりの 割合も変わらないと仮定して可視波長域での減光量とX線波長域での減光量 は相関があると予想する。実際にあすかの探査で見つかったセイファート銀 河ではX線での減光量と可視域での減光量の関係は上の仮定でうまく説明さ れている。一方、隠されたクェーサーでのX線での減光量と可視域での減光 量の食い違いは2桁にも相当する(7)。つまり、クェーサーの中心にある星間 ガスの中には可視光を吸収するちりが大量には存在しない。これはクェーサ ーにおいてはその中心からの放射によってちりが蒸発しているといった事が 原因かもしれない。この結果もクェーサーが中心核付近でセイファート銀河 とは異なる構造を持つ事を支持する。 「あすか」衛星での探査から、隠されたクェーサーが多数は存在しないとい うことが明らかになった。つまりクェーサーはセイファート銀河の光度を大 きくしただけでは説明できず、セイファート銀河の統一モデルには従わない。 このことはクェーサーの中心領域にはセイファート銀河に比べると星間ガス、 とくにちり、が大量には存在せず、晴れあがっていることを示唆している。 5:初期宇宙での隠されたクェーサー探査: すばる望遠鏡と最新X線衛星の連携へ 「あすか」衛星での探査から、隠されたクェーサーが多数は存在しないとい うことがわかった。一方で、宇宙初期の形成されつつある銀河の中心付近に は、星やブラックホールに取りこまれる前の大量の星間ガスが存在していた はずで、現在に比べればクェーサーの中心核は星間ガスによって遮蔽されや すい状態であった可能性が高い。「あすか」衛星での探査は非常に遠方にあ るクェーサーには届かず、探査の領域は「現在の」宇宙の範囲に限られてい る。遠方の宇宙を見とおして宇宙の歴史をさかのぼった場合には、隠された クェーサーが多数存在する可能性がある。遠方の宇宙のクェーサーを探査す るには検出限界をより下げた探査が必要である。 「あすか」衛星の後、1999年にアメリカはチャンドラ衛星を、ヨーロッ パはXMMニュートン衛星を打ち上げた。これらの衛星は高エネルギーX線 波長域において高い空間分解能と広い集光面積をもち、「あすか」衛星より も100倍も暗い天体を捉える探査観測を実現している。すでに初期の発見 成果は論文として登場しており、初期宇宙にある隠されたクェーサーの発見 の報告も出てきた。今後は大きなサンプルに基づいた初期宇宙での隠された クェーサーの存在数の定量化へと進む必要がある。大規模なクェーサーのサ ンプルを構築するには高エネルギーX線での探査観測と可視波長域での撮像、 分光観測を連携して進めなくてはならない。「あすか」衛星で見つかったハ ードX線源に対する可視波長域の観測は主に口径2m程度の望遠鏡との連携 で進めてきたが、最新のX線衛星によって100倍も暗い天体が捉えられる と、すばる望遠鏡のような口径8−10mの大口径望遠鏡による可視波長域 での観測が必須となる。 すばる望遠鏡のチームではXMMニュートン衛星を用いて1 平方度という広 い視野での探査プロジェクトを進めている。最新X線衛星を用いた探査観測 では世界で最も広い視野の探査であり、このような探査はすばる望遠鏡の持 つ、8−10m大口径望遠鏡では世界で唯一の広視野撮像カメラ (Suprime−Cam)によってはじめて可能になった。高エネルギー X線での探査観測はすでに全体の半分以上を終了しており、初期のデータ解 析結果からすでに100個以上の未知の高エネルギーX線源が検出されてい る。可視波長域ではすばる望遠鏡のスリットマスクを用いて多数の天体が同 時に分光観測できる装置(FOCAS)を用いて試験的な分光観測を行い、 30個程度のX線源の正体を明らかにした。その半数以上はクェーサーであ り、可視波長域で幅の狭い輝線のみを示す隠された2型クェーサーも発見さ れた。 この探査プロジェクトが終了すれば、宇宙においてクェーサー活動が起こり 始めた時期から、現在の宇宙にわたる長い時間範囲をカバーする500個程 度のクェーサーのサンプルができる。宇宙年齢ごとにサンプルを区切って隠 された2型クェーサーの統計を取れば、宇宙初期には隠されたクェーサーが 現在よりも多数存在したのか?隠されたクェーサーの存在数は宇宙年齢によ ってどのように変化してきたか?が明らかになるだろう。これによってクェ ーサーが出現してきた物理過程に迫れるかもしれない。 さらに将来的には、すばる望遠鏡の広視野の中の400個もの天体を同時に 分光観測できる光ファイバーを用いた観測装置(FMOS)の開発も、 2004年の完成を目指して進んでいる。これを用いれば10夜程度の観測 だけで1万個を超えるクェーサーのサンプルを作ることも可能になる。現在 のプロジェクトで定性的に見えてきた傾向を、時間の軸も含めて定量的な議 論へと発展させることが期待される。 あすかによるクェーサー探査観測は主に 宇宙科学研究所、上田 佳宏 氏、高橋 忠幸 氏、 京都大学宇宙物理学教室 太田 耕司 氏、 国立天文台 山田 亨 氏ら との共同研究で進められてきた。 参考文献: (1) R.Antonucci: Ann.Rev.Astronomy&Astrophysics, 31, 473, 1993 (2) A.Comastri et al.: Astronomy&Astrophysics, 296, 1, 1995 (3) K.Ohta et al.: Astrophysical Journal Letters, 458, 57, 1996 (4) Y.Ueda et al.: Astrophysical Journal, 518, 656, 1999 (5) Y.Ueda et al.: Astrophysical Journal Supplement, 133, 1, 2001 (6) M.Akiyama et al.: Astrophysical Journal, 532, 700, 2000 (7) M.Akiyama et al.: Astrophysical Journal, in press 図の脚注 <図1> 1型セイファート銀河と2型セイファート銀河の統一モデル。 銀河中心のブラックホールの周囲に降着円盤が形成され、 そこから強い紫外線やX線が放射されている。 その降着円盤を取り巻くようにドーナツ状に星間ガスが 分布している(左下)。 セイファート銀河を外から観測するとき、 中心付近(降着円盤や高速運動するガス雲)が 直接見える方向に観測者がいる場合には1型(右上)、 中心付近が周りのドーナツ状の星間ガスで 遮蔽される方向に観測者がいる場合には2型(右下)として 観測されると考えられている。2型では低速運動するガス雲 からの速度幅の狭い輝線しか見えない。 NGC1068は典型的なセイファート銀河 (画像はデジタイズドスカイサーベイによる)。 <図2> あすかによる探査で発見された隠されたクェーサーの すばる望遠鏡による可視波長域でのスペクトル(上)。 下は比較のための典型的なクェーサーのスペクトル。 典型的なクェーサーでは水素のバルマー線(青色で示した) が幅の広い輝線として観測されるが、隠されたクェーサーでは 幅の狭い輝線となっている。幅の狭い輝線としては 2回電離した酸素の輝線など(灰色で示した)が どちらのクェーサーでも共通に見えている。 典型的なクェーサーでは 400nm より短い波長で連続光の 成分が強くなっているが、隠されたクェーサーでは そのような成分は見られない。隠されたクェーサーの スペクトルは2型セイファート銀河のスペクトルに似ている。 波長は赤方偏移の効果を補正してあり、 天体において放射されたときの波長。