KT富田賢吾のページ

Astronomical Institute, Tohoku University Theoretical Astrophysics Group

学生の皆さんへFor Students

この文章がTwitter等で業界内外に拡散されて様々な反響を頂き、ありがたいと思いつつも少々恐縮しています。この文章(に限らずこのWebサイト全体)は自由にシェア・リンクして頂いて構いませんが、これはあくまで私個人の考えであるということを強調しておきます。大学・大学院あるいは研究に対するスタンスは人それぞれで、画一的であるべきとは思いません。こういう考え方もあると参考にして、共感できる所を読者の責任において取捨選択して頂ければと思います。

2018年3月: 「指導教員の使い方」を加筆しました。

2023年7月: 「研究は楽しいか?」を加筆しました。

以下は我々のグループで研究したいと考えている人や、より一般に大学院進学を考えている人あるいは大学院に進学した学生を対象として、私が学生に期待する大学院生活の心構えを書いています。誤解のないようはじめに説明しておきますが、この文章はこれから大学院に入る学生の心を折るために書いたわけではありません。むしろそれとは真逆で、私が大学院生に求める基準を明示することで、大学院に入ってから想像・期待していたのと違った、こんなはずではなかったと心が折れるのを未然に防ぐために書いた文章です。私自身がまだ未熟なのにも関わらず、説教臭い上に長いですしあえて強めの口調で書いています(これでも実は不十分だと感じています)。これはあくまで私個人の期待であり、我々のグループで共通した見解ではありません。これを全て満たさなければ駄目(あるいは満たせば良い)というものではありませんが、進路を考える参考にして頂ければと思います。

研究者になる気はないが大学院には行きたい、または迷っている学生の皆さんへ

研究者になるだけが人生ではありませんし、研究者を養成することだけが大学院の目的ではありません。大学院で学んだことを直接的に将来使わずとも何らかの形で社会に貢献できる人材を輩出するのは我々の責務であり、目標を持って勉学に励む学生の皆さんに我々は支援を惜しみません。進路についてもできる限り相談に乗ります(私は普通の就職活動というものをしたことがないので的確な助言ができるかどうかは保証しませんが)。

しかし、大学院(あるいは大学)を就職活動のための期間あるいはモラトリアムの延長であると考えているならば、悪いことは言わないので大学院に行くのはやめてください。大学・大学院というのは義務教育ではなく高等技術・知識を持つプロフェッショナルを養成する過程であって、自主的に勉強したい人に対して機会と支援を提供する場所です。「勉強させられている」「モチベーションが与えられない」「やりがいがない」と思っている人は即刻その考えを改めるか退学届を書くべきです。就職活動に有利だから、まだ学生でいたいから、などの半端な気持ちで大学院に進学すればきっと痛い目に会います。会わせます。我々のグループでは大学院修了に必要なレベルに達しないと判断すればたとえ就職の内定を得ていても卒業を認めません。中途半端な気持ちで進学すれば自分自身と教員を含む周囲の人間を不幸にします。自分が何故大学院に進むのか、自分が何を学びたいのか、目標をはっきりさせてから進学してください。そしてもし進学するならば全力をもって勉学と研究に取り組んでください。

研究者志望の学生の皆さんへ

研究者になる厳しさ 研究者になるには非常に厳しい競争に勝ち残らなければなりません。5年間大学院で学んで博士号を取得してもそれはスタートラインに過ぎません。その後まずいわゆるポスドク(Post-doctoral fellow、博士研究員)と呼ばれる多くの場合任期付きの職を2-3回渡り歩き、競争に勝ち残れば大学あるいは研究機関の助教になることができます。ここまでに典型的に5-8年程度かかりますし、国立大学の助教の競争倍率は数十倍から百倍を超えることもあります。優秀な能力を持った人が全力を尽くしても必ず安定した職が得られるとは限らない、それが研究職の厳しい社会です。リスクを承知で自分の能力を試したい、自分が好きだからやりたいという強い意志は研究者になるのに不可欠です。厳しいことを言うようですがこの程度の脅しに怯むようでは適性がないということです。なれたらなりたい、迷っている、等の甘えた気持ちではまず将来不幸になるので覚悟を決めて真剣に取り組んでください。しかし一方で自分には研究しかないという思い込みは非常に危険です。人生はおそらく一度しかありませんし、研究以外の選択肢の中には実は研究よりも適したものが存在する可能性は高いです。思いつめ過ぎず人生を健康に幸せに生きることを忘れないでください。

研究者に必要な能力 研究者になりたいという意思や、物理・宇宙が好きというのは十分条件ではありません。博士号や修士号は研究の成果と能力を証明する国際的な資格であって、努力賞として与えられるものではないのです(まともに運転できない人が努力だけで運転免許を取得できたらどうなるか想像してみて下さい)。厳しい競争に勝ち抜くためには(運やタイミングも含めて)卓越した能力が必要です。特に宇宙物理では論理的思考能力や高度な数学と物理学、コンピュータに関する知識、英語力に加えてコミュニケーション能力が必須です。これらに対する苦手意識があるならば早急に克服してください。大学院入試に合格してもそれは十分な能力があることの保証ではありません。むしろそれは始まりに過ぎないので、その後の研究に必要なことを習得する努力を怠らないでください。特に研究に対する憧れがある人程現実の泥臭い数学や物理やプログラミングに対して幻滅することが多いです。ですが現実を直視してください。研究というのはそういうもので、それができないならばどれだけ好きであっても適性がないということです。今日では研究者にならなくても科学に触れる手段は沢山ある(雑誌・科学館・インターネット等)ので、本当に自分がプロの研究者になりたいのか、何故なりたいのか、冷静に見極めましょう。またよく言う話ですが研究と勉強は違います。勉強ができるからと言って研究者としての適性が高いとは限りませんし、そのような人を私はたくさん見てきました。一方で勉強はできないけど研究はできるというケースを私はほとんど知りません。できないことは少ない方が、できることは多い方がいいのは当たり前のことです。自分の価値を高める努力を怠らないでください。

研究者の非常に厳しい世界で生き残るには常に最善を尽くさなければなりません。全力で取り組んだとしても全員が幸せになれないのがこの世界です。「このくらいでいい」という甘えは捨ててください。教員の要求が厳しすぎると思うこともあるでしょうが、実は多くの場合教員の要求は最低限のものでそれを全てこなしたからと言って研究者になれるわけではありません。むしろ言われたことはできて当然で、それを自主的に超えることができなければ生き残れないと思ってください。口を開けて座っていれば餌が与えられるのは高校まで(本来は義務教育まで)で、大学・大学院では自立性と自律性が求められます。残念ながら指導教員を含む多くの人々は学生や学生の研究を無条件には重要なものだと考えてくれないので、自分の力で価値があると説得する必要があります。指導教員への依存心は捨ててください。ましてや指導教員を神と崇拝してはいけません(一般の社会人としての礼節は当然必要ですが)。むしろ指導教員は最初の超えるべき壁です。ある分野で博士号を取るということは、原理的にはその瞬間その分野において最も進んで最も深く理解していることが求められます。即ち少なくとも博士論文のテーマについては指導教官を超えなければならないのです。教員やポスドク・先輩を超えてもなんの罰則もありませんし、むしろ超えられるような人でなければ生き残るのは難しいのがこの業界の現実です。常に上を目指すことを忘れないでください。

自己責任論 どれくらいできれば将来優れた研究者になれるか、誰も保証することはできません。これくらい優秀なら多分大丈夫だろうという判断はある程度はできるのですが、それでも将来良い職に就けるかどうかまで責任を持つことはできません。「君なら絶対大丈夫」などという人がいればそれは無責任な発言かあるいは勇気づけるためにあえてそう言っているかです。逆に「無理だからやめておけ」と言ってくれればいいのですが、多くの教員はこの発言がハラスメントになることを恐れて直接的な発言を避け、精々言外に匂わせる程度が関の山です。私は怖くてできません。私にできるのはリスクを十分に説明した上でこの仕事のやりがいや意義を語ること、必要なアドバイスと指導を提供することくらいです。それを元に最終的な判断をするのは各自の責任であると理解してください。

研究は楽しいか? 世に溢れている研究者のメッセージや成功した研究者のエピソードではしばしば研究は楽しいものとして語られますし、それに対して憧れを抱いている学生さんも多いことでしょう。あるいは、オープンキャンパスやサマースクールなどの研究体験が楽しかったから研究の道に興味を持ったという方も少なくないのではないかと思います。本当に研究が楽しくて仕方ないという人もいて、それはある種の才能として羨ましく思う時もあります。一方で、私自身は研究が楽しいかと問われれば、研究の先にある成果はその努力に見合うもので積分すればトータルでは+になっていると信じていますが、研究の過程では相応の苦しみがあると正直に答えたいと思います。ここで伝えたいメッセージは三つあります。一つ目は研究は楽しいというキラキラしたイメージあるいは「宣伝」に過大な期待を持つのは危険だと私は考えます。二つ目に、楽しいこと・やりたいことだけやっていればいいというのは趣味や道楽(趣味であっても究極的に突き詰めるには大変な努力をすることもあると思いますが)であって、求められる成果を得るためにはしばしば苦行に向き合うことも必要なのがプロフェッショナルな仕事です。そして最後に、研究のある過程が辛かったとしても、それはあなたに研究に対する適性がないことを必ずしも意味しない(逆に楽しめるからと言って優れた研究者であるというわけでもない)ので、それで希望を失わないで欲しいということです。プロフェッショナルな仕事である以上現実と向き合うことは避けられないという覚悟を持っておいた方が、困難に直面した時に上手く乗り越えられるのではないかと私は考えます。研究の過程では自分の能力の限界を超えるようなレベルまで突き詰めたり、面倒な作業ややりたくないこと、苦手分野の知識やスキルが求められたりすることがしばしばありますし、努力をしても望む結果が得られないということも必然的に起こります。前人未到の領域に挑むならある程度の苦行や失敗は不可避ですし、それらに対して苦痛を感じることは自然な反応です。それで自分には適性がないと考える必要はありませんし、逆に下手の横好きという言葉があるように楽しいからと言って良い成果が出るとも限りません(それはまだ楽しめる程度のヌルい研究かもしれません)。無論全く楽しめないというのならそもそもその進路を選ぶべきではないと思いますし、楽しくて成果が出るのならそれはもちろん素晴らしいことですが、苦痛・苦行・苦手を乗り越えた先にある結果に価値があると信じて困難に日々向き合っているタイプの研究者も沢山います。例えば、朝永振一郎のドイツ留学時の日記(岩波文庫「量子力学と私」収録「滞独日誌」)がお勧めです。私は学生時代これを読んで勝手に共感して、ノーベル物理学賞を取るような人でも苦悩したのだから自分ごときが苦しむのは当然だと思って随分救われた気がしたものです。研究の過程まで含めて全てを楽しめるかどうかと研究者としての適性は必ずしも相関しませんので、ある程度健全な範囲で悩むことはあっても良いですが失望する必要はありません。

研究テーマ・指導教員・研究室の選び方

大学院に進学するのにあたって指導教員や研究室、そしてテーマの選び方はその後の一生を左右する重要な問題です。まず第一に漫然と今自分がいる大学に進学したり、入試の難易度だけで大学院を選択するのは絶対にやめてください。研究者のキャリアにおいて自分の進路を自分の意思で選択できる外的なチャンスは数える程しかありません。大学院への進学、博士課程への進学はその数少ない機会です。自分がどういう研究者になりたいのかよく考えた上で情報収集をしてください。

研究テーマの選び方 まず自分が何をやりたいか、テーマを決めることは重要です。自分が面白いと思うことを追求することは重要ですが、ここではあえて注意をしておきます。まず、学生の視野に映る「面白い研究」はしばしば「終わった話」で、現在の最先端で重要な研究かどうかは良く見極める必要があります。また仮に今流行しているテーマであっても、その分野に将来性があるかどうかも考えなければなりません。これから少なくとも博士号を取るまでの5年と更にそこから数年、合わせて10年程度の先くらいまでの将来性を考えるべきです。もちろんこれは一般には容易ではありませんが、天文学・宇宙物理学ではある程度可能です。この分野は理論研究であっても観測によって駆動されているので、数年後にどのような新しい観測計画が実施されるかを見れば数年後にどのような研究が重要になるかをある程度予想することができます。教科書やネットでの情報収集も必要ですが、実際に現場で働いている人がその分野についてどう考えているかを聞いてみるのも良いでしょう。また、研究者は非常に競争が激しい分野ですから、自身の得意不得意を認識して優位性を活かせるスタイルや研究手法(私の場合これは計算機シミュレーションでした)を考えてください。長期的視野を持って自分がどのように研究を行うか戦略を考えることをお勧めします。

指導教員・研究室の選び方 指導教員や研究室についての情報収集は学生には非常に困難なようで、事前にちゃんと情報を得ずに決めてしまうことを私は強く危惧しています。ネットで検索すれば有名な教授がでてきますし、テレビや本で見た話が面白かった教員につきたいと思うかもしれませんが、はっきり言えば危険です。有名な先生が教育能力が高いとは限りませんし、むしろ忙しくて放置されるケースも多いです。研究グループのWebページを見ても、直接面談をしても、口先だけではいくらでも綺麗事を言うことができます。むしろ綺麗事をいう人程警戒すべきです。上に述べたように自主的にやれる学生ならばどんな環境でも問題はないはずですが、現実問題としてはやはり適切な指導ができる指導者は必要です。大学院の教育は個別指導または少人数指導に近く個人間の相性に依存する面も強いのでどのような指導教員が適しているかは一概には言えません。ただ、地雷を踏まないための技術は必要なので以下にそのポイントを述べます。

グループの雰囲気、学生・部下・業界人の意見 研究室を選ぶ前に是非その研究室の学生やポスドクに話を聞いてみてください。また他の教員(特に直接的利害関係のない人)にそのグループのことを聞いてみるのも良いでしょう。言い辛いことをはっきりいってくれるかどうかはわかりませんが、もしそのグループに入るとすれば同僚になるわけですから、一度話をしてみて一緒に仕事をする自分を想像してみてください。

研究・指導の実績 その人のこれまでの業績をADSで調べてみましょう。最近その人はアクティビティがあるでしょうか。どのような研究のネットワークを持っているでしょうか。指導した学生は論文を出しているでしょうか。これまでの業績の引用数も重要な指標です。論文数や引用数は分野や研究スタイルによって大きく異なるので単純比較はできませんが、研究・指導の実績を客観的なデータに基づいて判断すべきです。現役で手を動かしている人の方が業界の事情や研究の勘では優れていると期待できますが、一方で指導教員としての実績も重要です。

出身者の数・進路 多くのグループでは卒業した学生の進路がWebページなどで公開されています。どれくらいの人が研究者として業界に残っているでしょうか。特にそのうち大学教員や学術振興会特別研究員などの良い身分を獲得した人がどれくらいいるでしょうか。どのくらいの人が研究職を志望するかは大学によって違うので単純に数字だけを見てもわかりませんが、参考にはなります。

研究の戦略 その人・グループの研究の戦略に一貫性はあるでしょうか。今後その分野で動くプロジェクトとの関係や、将来についての見通しはあるでしょうか。自分の将来の研究との関係を想像して自分のやりたいことと一致するかどうか考えてみてください。

指導教員の厳しさ・やさしさ 学生からすると「厳しい」指導教員を敬遠して「やさしい」指導教員に付きたいと思うのはまあ理解できますが、少し考えて欲しいと思います。ここで言う厳しい・やさしいというのは性格や人格の話ではなく、学生に期待する努力や成果とそれに応じた指導のレベルを意味します。さて、指導教員にとって学生に厳しく指導するのとやさしく指導するのはどちらが楽でしょうか。もちろんこれは「やさしい」方が圧倒的に楽です。学生が期待するレベルに達しなければ基準の方を下げてしまえばいいのですから。これを容認していては競争力のある人材は育たず社会は衰退する一方ですが、残念ながら現在の日本の高等教育でしばしば行われています(これには現在の高等教育制度の構造的欠陥が原因にあります)。ここで重要なのは、学生に対する基準と指導のレベルは整合的でなければならないということです。厳しい基準を設定する以上、学生がその基準を達成できるよう指導により多くの労力を費やすのは指導教員の責務です(要求する基準が高いのに必要な指導を怠る指導教員は論外です)。それを踏まえてどういう教員が自分のためになるのかよく考えて指導教員を選択してもらいたいと思います。もちろんこれは大学院に何を求めるかにも依りますし、上で述べたように大学院の指導では個人間の相性も重要な要素ですから、結局は自分で考えて結論を出すしかないのですが。
・・・世間の平均的教員と比べて私はおそらく「厳しい」教員に分類される自覚はありますが、学生に対する期待に見合うだけの指導をしているつもりです。

我々のグループへの進学を希望していない方でも必要なら私の視点からの助言は提供します。気軽に相談してください。

できるだけ早く身に着けておくべき能力・習慣

物理学や数学の能力に加えて私が学生に期待する研究に必要な能力や習慣をいくらか具体的に以下に列挙します。以下を可能なら大学院入学までに始めて欲しいですし、遅くともM2でできるようになっていないとその後の研究生活に支障があります。過剰な要求と思われるかもしれませんが、当然できなければならないことしか書いていませんし、これができれば十分というものでもありません。

健康・自己管理 まず第一に研究者も体が資本です。心身ともに健康でなければ何もできません。大学院生は一人前の大人のはずですから体調には気をつけて自己管理するようにしてください。研究者は40年近く続けなければならない仕事なので、不調があれば無理をせずに療養し長く続けられるようにしましょう。研究者になるのは厳しい道ですから楽しいことばかりとは限りませんし、時には挫折することもあるでしょう。怒られることは誰にとっても楽しいことではありませんが、若いうちは怒られることは避けられないと思っておいた方が良いですし、皆そのような経験を通じて成長するものです。これは人によって大きく違いますしもちろん楽しく過ごせるならそれはそれで良いのですが、辛いことがあっても必要以上に精神を病むことのないよう自分なりの折り合いが付けられることも必要な能力です。

論理力・国語力 研究は単に物理や数学だけで完結するものではありません。特に宇宙物理学は応用物理であり、問題を解決するには様々な理論や観測事実に基づいて一本の筋道を作ることが求められます。個々のトピックを理解するだけでなくそれらをつなぎ合わせて大局的な描像を作り出すこと、それに基づいて研究の方針を立てる能力が必要です。プロとして研究するということは啓蒙書に書かれているようなお話として理解するのでは不十分で、きちんと数学・物理と論理に基づいて正確に物事を理解しなくてはなりません。またセミナーや研究発表では自分の理解をわかりやすく説明するために明快な論理を構築しなければなりません。文章を書く機会も多いので理系の職業ではありますが高い国語能力が求められます。

研究倫理 大きな事件もあったので学生の皆さんでも御存知でしょうが、研究の倫理が最近大きな問題になっています。これまで学生を見てきた中で、いわゆるコピペとまでは言わないものの教科書丸写し同然のレポートを書くことに対する罪悪感の希薄さに私は戦慄しました。良い教員は学生のレベルを把握しているはずですから、真剣に査読をすれば不自然さは高確率で発覚します。剽窃・捏造をしないというのは当たり前のことですが、それに加えて先行研究を適切に引用したり、研究上関係したしかるべき人に謝辞を書く、研究費を適切に使用する、共著者を適切に選ぶ等も重要な責任です。当たり前のことのはずですが今一度確認してください。それからお世話になったらお礼を言う、期日や時間は守る、周囲に迷惑をかけない、職責に応じた社会的責任を果たす等の一般的常識も身に着けて下さい。

社交性 研究者は自分の研究だけしていれば良い仕事ではありませんし、研究は一人でやるものではありません。まず毎日研究室に来て同僚と話す時間を大切にしてください。周囲との議論の中から新しい考えが生まれることはしばしばありますし、精神的な健康の維持にも役立ちます。実際精神の健康に問題を生じる学生の多くは最初から研究室への出席が不安定です。機関・研究室によっては様々なイベントや行事(遠足・飲み会・スポーツ大会等)があります。これらへの参加は強制されるべきものではないですが、教員やグループ内の同僚と良好な関係を構築することは研究に限らず生活・精神面でも有益ですので無理のない範囲で参加することを勧めます。研究会では同分野・他分野の研究者と積極的に交流することが必要ですし、発表の内容に対して適切に質問・議論をすることが求められます。特に「自分はコミュニケーションが苦手なので一般企業は無理、研究者になるしかない」という考えは致命的なまでの大きな勘違いです。

論文を読む習慣 天文業界ではarXivというWebサイトに新しい論文が平日は毎日、日によっては100本近く掲載されます。これはいわば新聞のようなものであり、スポーツ選手でいうところの基礎体力の訓練です。最新の情報に常にアンテナを張るとともに英語の論文を要領よく読む習慣をつけてください。毎日少なくともタイトルには全て目を通し、自分の興味ある分野や重要そうな論文はアブストラクトまで読み、その中で本当に重要と思われるものは全文を(少なくとも結論と図を)読んでください。分野にもよりますが週何本かは印刷して読むべき論文があるはずです。ないこともありますが、なければ他の分野の論文に手を広げれば良いのです。自分の世界を自分で制限せずにできるだけ幅広い知識を貪欲に吸収してください。また自分の研究に関係する論文を自分で探す習慣をつけてください。天文関係の分野の論文はほぼ全てADSで検索できます。他分野の論文を探す際にはGoogle Scholarも便利です。現代の研究は半ば情報戦です。世の中に溢れ返るほどの論文の中から有用なものを要領よく探し出し、必要な情報を必要な時に見つけられるようにしてください。

英語 研究の世界言語は英語なので、英語ができなければ研究の大きな足枷になります。少なくとも教科書や論文を読み書きするのに支障のないレベルの英語は必須です。上のarXivの例で言えばアブストラクトを読むところまでで30分を切るのが望ましいです。辞書を引いて単語の直訳を並べるだけではなくきちんと意味の通る文章を読み書きできるよう訓練し、英語の読解にとらわれて肝心の科学的理解にまで及ばないということがないようにしてください。会話については将来的に研究者になるには必須ですが、どちらがより緊急性が高いかと言えば読み書きです。ですが学生のうちから国際会議での発表が求められるので、普段から意識して練習をして苦手意識があるなら早めに克服する努力をしてください。周囲の英語レベルを見て安心してはいけません。日本の英語教育のレベルは低く実用に耐えません(特に大学レベルの英語教育は明らかに不十分です)し、教員の多くも恥ずかしいから喋らないで欲しいレベルの英語しかできません。最近は多くの大学で学生向けの英会話の機会を提供していますし、必要なら英語教室に通うなど自身で必要な対策をして下さい。なお我々のグループではセミナーやグループミーティングは英語で行っています。

コンピュータ・プログラミング 今日の研究では観測でも理論でも、シミュレーションを専門としなくてもデータ解析や計算のためにある程度のコンピュータの利用、特にプログラミングは避けては通れません。OSなどは問いませんが何らかのシステムで任意にファイル操作ができる程度にはコンピュータの操作を習得しておいてください。数値シミュレーションを専門としなくても、簡単な数値計算やファイルの処理に便利なので所謂軽量プログラミング言語(Python, Perl, Ruby等)の中から何か一つ習得することを強くお勧めします。これまで経験がないならば(私は古い人間なのでPerlですが)利用者が多く情報やパッケージが充実しているPythonをお勧めしておきます。それに加えて、数値シミュレーションを用いた研究をするならば大規模計算に用いられるC/C++またはFortranのどちらかを習得してください。これから学ぶならC/C++をお勧めします。言語の仕様をすべて把握する必要はなくやりたい計算に必要なことができれば十分です。また何か一つの言語を習得しておけば他の言語にも応用は効きます。

プロ意識・向上心 繰り返しになりますが大学院とはプロフェッショナルを養成する過程です。学生だからまだできなくて良い、これくらいでいいという妥協は唾棄すべきものです。例えばプロのスポーツ選手を目指す若者(甲子園を目指す高校生を思い出してください)は少しでも上を、可能ならば現役のプロをも上回ることを目指して日々練習しているはずです。研究者も同じです。自分で限界を設定した瞬間にそれ以上は伸びなくなります。周囲を見て安心・油断したり足を引っ張り合ったりすることはやめて下さい。自分の周囲の人と競争し高め合い、常に上を目指して自立・自律したプロフェッショナルとして何が求められるのか考えて行動するよう心掛けてください。

指導教員の使い方

大学で研究室に配属されてあるいは大学院に入ってどのように振る舞えばいいのか、特に指導教員とどのように接してどう知識や技術を吸収すればいいのか、突然それまでの授業とは違うことを求められて色々戸惑うのは当然だと思います。ここでは指導教員の視点から学生にこう取り組んでほしいというポイントを思いつく限り挙げておきたいと思います。私としては学生には大学または大学院という環境を最大限に利用してもらいたいと考えているので、そのために有用な考え方を書いたつもりです。ただし以下に述べるのはあくまで私の希望であって、指導のスタイルは指導教員によってそれぞれです。教授と学生らしい関係を好む人もいれば、友達に限りなく近い交流を望む人もいます。大学院の指導も基本は人間関係です。お互いの関係を大事にして、自分と指導教員に合ったスタイルを見つけてください。ここに書いてあることをそのまま実践して指導教員の不興を買っても私は責任を持ちませんので注意してください。

学生の権利と義務・責任 この話の初めに幾つか強調しておきたいことがあります。まず、授業料を払っている以上学生には指導教員から指導を受ける権利があるということです。学生側に落ち度がないにもかかわらず指導を拒否されるならそれはハラスメントです。学生にとっては指導教員は一度決めたら絶対的なものと考えがちですが、実は思ったより簡単に変更できるので心身の健康が損なわれる前に問題を解決できるよう周囲に相談してください。一方でもう一つ同じくらい強調しておかなければならないことは、誰にとっても時間こそが究極に有限で最も貴重な資源であるということです。指導教員に限らず誰かの時間を使う以上、その時間を最大限に有効活用する義務があります。指導に費やした時間が有意義であったと教員と学生の双方が感じられるようお互いに努力しなければなりません。それから、指導教員の役割は学生に立ちはだかる障害だと思うかもしれませんがそれは全くの逆です。指導教員は学生に必要な能力を与え共に科学の探求を進めるという同じ目的を共有する仲間であると認識してください。この目的を共有できないのであれば、残念ですがお互い不幸になる可能性が高いので進路の再考をお勧めします。

少し余談になりますが。私は高等教育が安価で受けられることは素晴らしいと思いますが、現状の日本の高等教育は指導教員も学生も無責任に過ぎると感じています。日本では学生は授業料を払っていますし、学生の指導にどれだけの血税が投入されているかを直接認識しないからでしょうか、大学(院)で何をしようともしなくとも自分の勝手だというお客様気分があるように見受けられます。一方で指導教員の側も、日本では学生を取るのに指導教員にはお金がかかりませんし、学生の指導に対する評価も不明瞭なためか、学生を指導して研究成果を挙げることに消極的な教員が多々見受けられます。個人的な意見ですが、授業料を値上げした上で全ての学生に授業料+生活費程度の奨学金を給付し、特別の事情なく規定年限を超過した場合は奨学金を停止して全額返済義務を課すようにすれば、学生は教育にかかるコストを直視することになり責任感を持ってより真摯に取り組むのではないでしょうか。また欧米のように学生への給料を指導教員の研究費から負担させ、学生の指導を業績としてより明示的に評価するようにすれば指導教員にも学生に対する責任意識が発生するのではないかと考えます。余談でした。

研究テーマ 私としては学生の自主性を尊重し興味のある問題に積極的に取り組んでもらいたいと考えています。私の専門は宇宙物理学の数値シミュレーション、特に星形成やその周辺領域(星間物質や円盤・惑星形成)が主ですが、私は新しいことに積極的に取り組んで行きたいと思っていますのでこの範囲に限定するつもりはありません。特に宇宙物理学では対象が違っても手法や物理はほぼ同じということはよくありますし、異なる分野の知識を導入することで理解が深まるということも期待できるからです。しかし一方で学生は在学年数という有限の時間で成果を出す必要がありますから、私が責任をもって指導できないような、学生(と指導教員)の能力を大幅に超えるテーマを与えることはできません。それから、研究の手法やスタイルは学生によって向き不向きがありますから、可能な限り学生の資質に適した方針を立てる必要があります。そのため、研究テーマに関しては学生の希望を聞いた上で可能な限りのすり合わせを行います。それでも解が見つからない場合には他の指導教員(他機関を含む)を紹介するということになると思いますが、それは本来大学院入学前に十分考えて解決しておくべき問題です。

近年、少なくとも天文学の分野では論文の数が多くなり過ぎていて、研究成果を論文として発表することは難しくありません。この状況には問題があると個人的には考えていますが、その話は長い脇道に逸れてしまうのでここでは置いておきます。論文を出版することは研究・指導の一環であってゴールではありません。私は学生の研究指導を考える時には研究者としてのキャリアを考慮し、単に論文になるかどうかだけではなくより長期的かつ大局的な研究の流れ・目標に繋がること、少なくとも今後数年間の業界の需要に合致していること、また学生に将来必要な技術や能力を習得させる教育的効果があることなどを重視してテーマを設定します。テーマや進路を決める際は現時点での興味だけではなく将来どのような研究に進みたいのかを十分考えた上で相談してもらえるとこちらとしてもより適切な指導をすることができると思います。

教員とのコミュニケーションの機会 まず少なくとも週に一度は研究あるいは学習の進展を報告してください。私は学生一人一人に毎週一度はミーティングの時間を設けています。一週間あれば少なくとも何らかの進展があることを指導教員としては期待しますが、失敗あるいは進展がないということ自体が警鐘であり指導における重要な情報ですので恥じることなく共有してください。それから必要であればいつでもオフィスに訪ねてきて構いませんし、昼食やコーヒーを飲みながら談笑している時間などでも機会を見つけて有効に活用してください。大学教員は一般に忙しいですし、教員も人間ですから調子が悪い(身体・精神共に)時もありますが、そういう場合は無理だと断った上で可能な時間をこちらから指示しますので学生の側で指導教員の都合を慮る必要はありません。指導教員に限らず研究員や先輩学生にも遠慮せず相談して構いません(研究員や先輩学生にとっては学生の指導は義務ではありませんが、研究者としてのキャリアの一環として学生の指導に関わることは必要であり推奨されています)ので、使える環境は最大限に活用してください。

相談・報告・議論 研究の報告や相談・議論をする際は具体的に行った活動と結果や問題点を説明するだけでなく、それまでの経緯やその手法を選択した根拠などを手短に、ですが具体的にまとめてください。学生にとっては取り組んでいる研究が唯一最大の課題ですから当然指導教員も同等の意識をもって取り組んでくれると期待してしまうかもしれませんが、多くの教員は自身の研究や業務に加えて複数の学生を同時並行で指導しています。そのため、大変申し訳ないことではあるのですが、いきなり話をされてもそれまでの経緯を忘れていたり問題を取り違えてしまったりする可能性があります。これはメールの場合も同様で、可能な限り毎回完結するように書くのが望ましいです。不要な意思疎通のトラブルを回避しお互いの時間を効率的に利用するために協力してください。また議論した内容を簡潔で構わないのでメモやノートにまとめておくと自身の理解の助けになりますし、以後の議論にも役立ちます。自身で研究を進める能力を養うことが研究指導の目的ですから、受け身に教員の指導を求めるのでは不十分です。結果を並べて次の指示を待つだけでなく、可能な範囲で構いませんので自分の解釈や仮説、次にどう研究を進めようと考えているかを提案するよう努めてください。またこれは学生にありがちなことですが、学会等の締切直前に教員に対応を求めると間に合わない恐れがあるので平素から必要な情報は密に共有するようにしてください。

研究あるいは勉強を進めていく上でわからないことは必ず出てきます。もちろん自分で問題を解決する能力を付けることは教育の一環ですから一度は自分で考えたり調べたりしてみることが重要ですが、問題が解決できなかった場合は絶対に放置せずに相談してください。その時点での学生の能力や進度に合わせて答えを教えたり、読むべき文献を紹介したり、あるいは自力で取り組むよう指示するのが教員の仕事です。教員と同じことができないのは少なくとも学生の間は当然ですから、それは全く恥じることでも遠慮することでもありません。こんなくだらないことを聞いては迷惑をかけると思うかもしれませんが、むしろ教員の立場では手遅れになってから発覚する方が余程迷惑なので問題は早めに解決するようにしてください。また、本来良くないと考えられている言葉ですが、場合によっては「そんなことも知らないのか」等と言われることもあるかもしれません。これは多くの場合、学部何年生のこの授業でやっているはず、あるいは以前のセミナーで扱った問題であるなど、本来その時点で習得していなければならない能力が不足していることを意味します。きつい言葉に聞こえても、教員は問題を指摘しているだけで学生の人格を否定する意図はありません。過度に気に病む必要は全くなく、素直に反省して勉強に取り組めばそれで十分です。それに怯むことなく努力を積み重ねてこそ成長するわけですし、多くの教員はそれを好意的に評価します。

対等な研究者として、あるいはそれを目指して 私は学生と教員という関係であっても研究に関しては対等で尊重すべき一研究者である、少なくともそうなるように努めるべきだと考えています。上でも述べましたが指導教員もちょっと前まではあなたと同じ学生であった人間に過ぎず、絶対的な神では決してありません。答えがわからない、そもそも存在するかどうかもわからない問題に取り組むのが研究ですから、指導教員すら答えを知らないことも多々あります。指導教員には経験がある分ある程度予想または期待を持って研究を進めていますが、それが常に正しいとは限りません。指導教員の指示に従って研究を進めたのに上手く行かないとしてもそれは学生の問題とは限らないのです。また、学生からしたら信じ難いような、極めて単純な勘違いや間違いも実はしばしばあります。指導教員の考えや説明に不足や間違いがある場合は遠慮なく指摘して構いませんし、指導教員の方針に不満があれば反論しても構いません。ただしその反論は曖昧で感情的なものではなく、科学的かつ論理的なものでなければなりませんし、建設的なものであることが望ましいです。真っ当な教員であれば合理的な意見には耳を傾け、適切な反論をするか異議を認めて取り入れるはずです。教員の言うことを無条件に飲み込ませることが健全な議論あるいは指導であるとは私は思いません。お互いの納得を積み重ねつつじっくり協力して困難な問題に取り組むことが理想であると考えています。一般にこのような科学的議論を通じて研究者相互の信頼関係が構築されるので、これは将来研究業界を渡り歩くための訓練としても重要です。学生という立場に甘んじず一人前の研究者として自立することを目指してください。